2レース
先日、広島にレース行ってきました。
公式戦スケジュールは終わり、あくまでホビーレースになりますが、よく使用される中央森林公園なのと開催歴も長い、雰囲気の良いレース。
公式戦では今年、このコースを使用したレースが無かったので、純粋に走っておきたいなとエリート7周とエキスパート3周にエントリー。
自身が監督しているチームで走ってくれてる女子選手に相談し、今後も必ずと言える程に走る機会があるため、公式戦や全日本選手権の対策の一環としてエキスパート3周で一緒に走りましょうと。(何を教えるでもないけど)
自分は合計10周なので120㎞ぐらい走る事に。
ここのコースだとそれで獲得標高が2000mになる。
結果を先に言うと最初のエリートが10位ぐらいでエキスパートが6位。
エリートは中盤に2名の逃げが決まり、これが勝ち逃げに。自分は3位集団で最終周回まで行くも最後の三段坂と言われる、5分近く踏み倒す区間で脚が止まり、そこから1人でゴール。
エキスパートはその女子選手の伴走目的でいたが、想定していたより早い段階で女子選手が離れてしまい、集団自体も崩壊し、その時点で先頭が8名程。
ここに自分が残ってしまい、女子選手を待つ事も悩んだが、せっかくなので行ける所まで先頭にしがみつく事に。
毎周回、毎坂の度に悶絶ギリギリを味わいながら最後は少し流すも6位は表彰があるとの事で、呼ばれてしまう流れに。
レースを走ってみて負荷への順応が足りてない事は想定内だったが、コンディションそのものが遥かに悪かった。
それもたまたまその一日が悪いとかではなく、この1〜2ヶ月抜け出せていないような感覚。その付箋は3ヶ月前、半年前と遡っていける気もする。
逆に予想を外したのが負荷順応、所々ペースが上がった時におそらく千切れるなと、毎回腹を括るタイミングがあったが耐えた。
ただその分、必死前提で無いものを絞り出した結果、脚が終わったという見方もしている。
これはロードレース。
自分より走れる選手達に混ざって、出し抜く事が出来る。そういった面でのアプローチも息を長くし、負荷順応が意外に良かった!と思わせる理由に一役買っているかもしれない。
こういったいわゆるスキルは、一定のレベルの選手になれば出来て当たり前なので、高いクラスで走るほど自分だけが得するチート要素は低い。(皆上手いから)
話しは戻り、自分の根本フィジカルの不足。レース領域の負荷順応の準備。コンディショニング。
これらが今、直面している問題。
それを不規則な勤務形態、(9〜17時働いた後に21〜5時など)。睡眠時間平均4〜5時間、その他諸々の中で状況を良くしていけるのか。
自分が選択してきた事にケチ付ける気はありませんが、ガムシャラに目の前の事をやる時期は終えて、どこで力を出すかを見極めながら動く時期なのか。
無い頭、劣化する身体で抗う日々です。
妖怪弟子日記
ご無沙汰してます。
1ヶ月以上空いた更新になりますが、充実している証拠でしょうか。
自分的には日々に追われて本来、更新頻度を高めていきたい、この日記に手が回らないというのが実際の所。。。。
それでは本題ですがこの週末は堺浜で行われるレースイベント、ここに自分はお手伝いとして全カテゴリを走らせて頂いて来ました。
このイベントは妖怪こと、日頃からお世話になっている永良選手が所属されるチームの主催によるもので、これまでにも有り難い事に何度と走らせて頂いてます。
そんな堺浜でのレース。大会名に「クリテリウム」が付くぐらい一周の距離が1キロも無い短い周回間隔で行われます。
平坦ではあるものの、風が厄介で参加者を苦しめ、それは同時に自分をも痛めつけてきます。
お手伝いの役目としては、レースを可能な限り安全性の高い状況にしていく事と心得てます。
勝負事であり臨機応変、適材適所にもなりますがビギナーからエリートまで様々なレベルの方が走られる中、こちらも大なり小なり走りのバリュエーションを用いて、時にペースメイクだったり、安全面での気遣いを走りに表す必要があります。
ここで難しいのが、求められていると自分が判断したモノと実際に求められていたモノとにギャップが有る事。
求められているモノが分かってはいるが提供出来ない事。などなど。。。
前者はやはり経験で、常に気付きの連続。完遂は無くレースの数や選手の数だけニーズが出てくる事を実感してます。自分も先輩ライダー達に囲まれながら学ばせて頂いて、雰囲気を掴めてるかも!と思えたり、それを走りに出せたという感触が有る日もありました。
後者は悲しいかな、「脚」です。このイベントで言えば全カテゴリを走れば170〜180㎞ぐらいになります。さすれば後半になるに連れ脚はピクピクとなり集団に食らいつくので精一杯というのも、自分にはまだまだよくある悲しい現実です。
そんな中でも、持てる力を余す事なく使い切れたかを毎回自分に問うてますが、出せないモノは出せない、けど出せるモノは全部出すぞという緊張と緩和の狭間で、要は「良い状態」でレースに臨むようにしてます。
闘志は秘めながら。
と、前置きが超長くなりましたが以上を踏まえて、今回のレースは自分にとって「いつも通り」と言えるモノでした。
ただ、その評価が自分自身に今回もある中、頑張っているねとお褒めの言葉を頂けました。
なんと妖怪プロにも…
何となく自分の走りが運良く、周りの人の目に付いたのかもしれませんが、自分の中では周りの反応や変化に違いを感じる機会になりました。
そこで改めて思うのが、先程述べた「いつも通り」。ここの基準を普段どれだけ高い位置に置いてるか。
そして「いつも通り」をいつでも出すための準備。
この2つの行いが自分にとってどれだけ大切かを噛み締める日になりました。
言わば堺浜のイベントでお手伝いとして走らせて頂く事は、自分にとって「死に物狂い」です。
この「死に物狂い」が自分の「いつも通り」になります。
何を成し遂げた訳でも、大した事も言えませんが、ずっと遠くて掴めた試しも無かったモノに触れる事が出来たような、そんな感覚でした。
自分はこうして一喜一憂をして、ほんの少しながら成長をしていく、まだまだ強さが足りない選手ですが、こういう機会を与え続けて下さっている妖怪プロに心から感謝してます。
そしていつ見ても誰よりも走りに手を抜かないプロの背中を見せて頂いてます。
前回の堺浜イベントでは、自分よりプロが5㎞ぐらい多く走っていたらしく、それを教えてもらった時は悔しかったです。
中々越えさせてもらえない背中ですが、誰よりも練習して強くなる心構えを忘れず、また走りたいと思います。
人に成る
いよいよ年の暮れになります。
年内予定のレースも全て済ませて気がようやく楽になってますが、年越しを前にして約1週間、北陸への出張が命じられており戦々恐々状態。生きて帰って来れるのでしょうか…
昨年の同時期で体調を崩して、咽頭炎を患いながら沖縄合宿を乗り越えたトラウマががが。
年内予定のレースが全て終了したと言えば、その最後のレースは地元で行われるものでした。
自分は有り難い事にもう片手で足りない程の年月を招待選手と言う位置づけで走らせて頂いてます。
今回、自分が監督をしている下のカテゴリの選手をサポート隊で3名召集、加えてチームメイトの藤岡君も呼んで計5名体制で臨みました。
その藤岡は広島在住で僕の地元とも、このレースともあまり縁はありません。なのに呼んだのは彼の引退セレモニーをしたかったから。
今季で第一線、いわゆる国内トップカテゴリでの競技活動から退く、区切りをつけると本人から表明がありました。
その主な理由は自身の怪我で、リハビリするも良い方向にいかなかったそうです。
自分なら受け入れ難いし悔しいし、やりきれません。想像しても彼の気持ちの本当を知る事は到底無理でしょう。
ただ藤岡と言う男は人が出来ており、人生の楽しみ方を多く知っていそうです。だから彼は常にポジティブなエネルギーを周りに放ってます。
何より選手として僕より遥か上のレベルでバリバリやっていたので、広い視野や経験からこの先をすでに定めているのかもしれません。
スタート前の時間をもらって簡単な挨拶を済ませて、藤岡君に花束を渡して、レースを走り終えて、彼を新幹線の駅まで送り、別れてみて感じたのは、僕がしたかった事をしたんだなと。
言わば自己満足です。
こう言う何か形を作らないと僕が嫌な気持ちになっちゃってたんだなと。
それでも何もしないよりは良いです。
良かったのか良くなかったのかも解れなかったし、一度はチームメイトになり出会った1人として起こせる行動の限りは尽くせた気がします。
主催の小野さんにお時間下さいとお願いをして、花束を中尾ママにスタート前まで藤岡君に気付かれないように預かってもらい。
俺は何故こんなに人の事で動き、人に動いてもらってるんだろう…ふと過ぎります。
俺ってこんな人間か?
成長か?歳を取って大人になったか?余計なお節介か? などなど。
藤岡君にとって良い日になったかは分かりませんが、彼が自転車に乗ったり笑顔になってる事で、沢山の人を巻き込める力があるのをこれからも忘れずにいて欲しいです。
Photo by ユースケさん
Photo by 藤枝君
恐れ多いながら、少し人に成れた(気がした)日でした。
こういう機会を与えて頂いてる事に感謝です。
閉幕
実業団のレーススケジュールは終わり、いわゆるシーズンオフになりました。
群馬以降も茨城かすみがうら、愛媛の今治と残りレースを走りましたが、先ず怪我なく無事に居れることにホッとしてしまっています。
自分も国内のプロクラスで走るようになって早6年が経ちました。
環境も都度変わり、出会いやご縁も頂き、今日まで続けて来れましたが、途中何度もやめそうなタイミングや、やめざるを得ないかという状況に追い込まれる時もあり、
只それでも、これまでの6年、自分の中では競技力は伸び続けていると信じて、トップレベルの選手達に混ざって走る事に、しつこくこだわりを持って臨んで来ました。
自分の主観や実感が、希望や楽しさを生み出してくれて「続ける」事が出来てますが、自分が身を置く場所はやはりプロの領域。
中にはそれでご飯を食べ、生業としてる選手がいます。またそんな選手達の走りを見て感動してくれる方もいるでしょう。
そんな選手達に混ざって走る資格や、条件を自分が満たせているのか、常に自問自答してきました。
その事自体を見極めたり判断するのは、自分ではなく周りなのかもしれませんが、自己分析は成長の為に不可欠。
主観でいくら楽しく、やりがいを感じていても客観で見た時に現在の自分は、選手としての価値は相当に低い位置に居ると見てます。
そんな今の自分を変えていく事は困難とするか、人生の楽しみとするか。
歳を重ねて、物事をよく考えたり受け入れて来た気がしますが、確実に時間は過ぎてます。
いつでもチャンスを掴めるように脚も心も研ぎ澄まさないといけない。
Photo by T.Yusuke
意識の反復と無意識の領域へ
先週はチームイベントで山梨へ。
チームというよりはメンバーの1人がSNSにおいてかなり人気&認知度が高く、その彼がなんとレースを主催するという企画に、チームとしてお手伝いに。
お手伝い内容はもちろん走る事。
お品書きは…
30分エンデューロ
60分エンデューロ
60分エンデューロ
20分エンデューロ
3時間エンデューロ。
しかも各クラスゴール後、5分〜10分後には次のスタートとサポートライダー泣かせ。
コースは1.5㎞平坦、180度ターン2カ所、やんわりコーナー2ヶ所と前腿ちゃん痛い痛いレイアウト。
Photo by T.Yusuke📸
案の定、全行程を終えた時は屍でしたが、自分は全て走らせて頂き200㎞。
超〜良い練習になりました。
イベントを通じて沢山の方と走れ、普段の実業団とは違う雰囲気にリフレッシュして楽しませて頂きました。
今回自分なりに凄く感じた事があり、それは今まで妖怪プロに与えて頂いたサポートライダーとして走る機会の数々、その経験が走りに染み付いてるという事。
そう言うと偉そうですが、走っていて迷いがなく引き出しがある自覚、仮に迷っても選択肢を作れる事を感じて走れました。
他のチームメンバーは皆、基本的にはサポートライダーは未経験、とは言え走力は自分と同じ、又はそれ以上にあるわけですが、それとはまた別の能力が求められるお仕事。
気付きと驚きと喜び、それと感謝。
大それた事はなにもありませんが、今の自分が当たり前と感じている事は、そうではなく何度か積み重ねて、意識に意識を繰り返して無意識で行動に起こせるレベルにしたのかなと、ほんのちょっぴり成長を噛み締める日に。
ただ、まだまだ。
まだスタートに立っただけ。
何も出来ていない、到達出来ていない。
もっと速く強く、分厚くなりたい。Photo by The Key📸
継続性と効果測定への帰還と脱却
先週は群馬で3連戦、先々週は魚沼と毎週関東遠征。身体もですが出費が酷い。
魚沼の週は日月が実業団の日程、月は仕事のため自分は日曜のクリテリウムのみ出場。それだけでは練習にならない為、土曜に岐阜である平坦のホビーレースにエントリー、距離は100㎞でガチプロ選手も居る事で良い負荷が掛けられるだろうという希望。
これには自身が監督をしているチームの選手、リョースケも走る。
リョースケは14歳。中3だ。
とはいえ大人顔負けな走りが出来る、そんな彼の強さの秘密に「レースに沢山出る」があり、自分も最近見習い真似をしている。
そんなリョースケと一緒に出た岐阜のレース100㎞。開始すぐアタックをし全日本U23チャンピオンが合流してくれ、まさかの鬼ローテ開始。
その後もカウンターで決まった逃げに単独ブリッジをしにいく、全日本エリート2位のガチプロに反応し、これまたまさかの鬼ローテ。
最後には逃げに集団が追いつく展開で、自分はリョースケを引き上げに行き、リョースケは5位。中3でこの着順は快挙と言える。
移動して翌日のクリテリウムは雨、スリッピーなコース。ここまでは正直問題無いが集団内がシビアで、かなり悩みレースを流す事にした。
走る全てのレースは全力で行きたいが、仕事を休めない事や、翌週の群馬のレースに集中する思いがあった。
とは言え、逃げの選択をしたのではないかという自問自答に襲われる。
翌週、群馬。
土日月、土日はロード、月はヒルクライム。
初日に関しては150㎞と長丁場。
金曜仕事終わりに向かい深夜3時に群馬に到着。そこから車で仮眠を取り9時ぐらいに会場へ向かい、13時スタートに向けて準備。
この時点で満身創痍、何ならいつもより状態が悪い条件下。
スタート時は雨、途中からはザーザー、山の上だからガスが掛かり視界も所々消えていた。
Photo by The Key
結果から言うと21位、30位、3日目は43位ぐらい。
自分としては出来過ぎな順位、全体から見れば順位に価値はない。
だから今回は順位に喜ぶのはやめて、出来た事出来なかった事をちゃんと整理しておきたい。
photo:Satoru Kato
最終日ヒルクライムは猫パンチもしちゃいました。
やればやるほどに粗く、磨けば磨く程に力の無さを。
残りのレースでまた自分を変えていきたい。
着地しない競技
今週火曜に40分ランをした。
自分の場合はジョグレベル、いやそれさえ怪しい。
走る事は好きでも無いが嫌いでもない。
ただ自転車乗ってる今はどうしても避けてしまうし、自転車のパフォーマンスを只々下げる行為としか捉えられなくなっている。
自転車ばかり乗っていると着地運動から遠ざかり、歩くだけで普通の人より疲れやすくなるのは選手あるある。
骨密度も下がるし自転車選手は中々の犠牲を払ってると言えるかもしれない。
先に述べた「自転車のパフォーマンスを只々下げる行為」についてだが、それは短期的な目線でしかなく、着地運動不足だからこそ偏ったバランスを補う程度の刺激は必要。
それに着地運動から遠ざかると言っても、必ず歩く場面、地に足を付けて自身の体重を支え続ける時間からは逃げられない。
仕事をしている自分は一日中動くので疲労感に日々襲われてる。
結局そこで脚の疲労を抱えて練習やレースを走ると、ベストコンディションからは掛け離れてしまう。
そこで意識する「疲れにくい身体作り」。
自分は今、まさにその過程。
正解や不正解を沢山試し、自分に合った量や質、アプローチの仕方を探している。
失敗の方が多いが、それは統計を出してより精度を上げていく過程なんだと思えば、明るい未来しか見えない。
しかししかし、それに費やす時間と老いていく肉体とでスピード勝負が行われている。
この感じでいくと大丈夫だ!と思っていたのは1年前の肉体を基準とした答えであって、その1年の間に答えは大きく左右に触れ、一気に遠ざかっていく。
常に耳を傾けて、研ぎ澄ませて、感じ続けないといけない。
何とかなるのは10代と20代前半まで。
という事で本日34歳になりました。
34年間もまず生きれている事が、本当に凄い。
それぐらい命は特別なもの。
感謝してまた歳を重ねていければと思います。