「領域」



今日はシナシナ少年と朝練、
弾丸100キロ紅葉ツアーという名目にしたが実態は楽しむ余裕無くペース走的に。

少年とはこの冬にやる練習や目的、順番を伝えているので段々走るまえの打ち合わせが短くなっていく。

コースは平荘湖〜加西〜東条〜黒石ダム〜西脇〜加西〜平荘湖。
確かに紅葉は良い色付きでした。

2人なのでお互い長めに牽いて。

平坦が6なら登りを7ぐらいの感覚で
ジワジワーっと登り毎に負荷のてっぺんが来るように。
スタミナが無いと、やがてこの6〜7の繰り返しが7〜8に変わってしまったり自分に余裕が無くなります。
少し長めに牽くよう心掛けたが、
後半の帰り道で瀕死寸前だったはずの少年が復活、「下り基調」が好きなようでガンガン牽かれアヘアヘとぶら下がる…

と思えば急にまた瀕死寸前になったり…
下り基調でも向かい風にはダメみたいです、脚を使い切った証拠かな。
そこは自分の出番なので再びペースメーカー、最近お気に入りのキリエンカ走行♪

やりたい内容は前半〜中盤で済ませれたので、帰りは好きに牽いて良いよと少年とは話しているのでアリアリです。

10代や20代前後の人ってやはり伸びが
違いますね、加えて元気なので中途半端なぼくでは相手になりません。

いつものコンビニに帰ってきて休憩、
終わった時点で良い感じに
脚がスカってる…スタミナが弱いです。

また相手してね。










最近、ぼくの周りで
「強くなるまでの時間」
「今と見違えるまでの時間」
を測る人がいる。

「来年の6月までにE1上がれてたら
プロいけますか?」
「今から3ヶ月で6〜7000㎞ぐらい乗り込んだら○月ぐらいになった時、登りで強くなってますか?」

少し極端だけどほぼ同じ種類で
たまにこんな事を言われる。
これが今からレース始めますって人なら
まだわからなくない。
それが皆、練習も強くてレースも沢山出てる人。。

その○○㎞や何ヶ月後、
半年後、一年後って何を根拠に
どっから出てくるのか?

半年後の自分に期待して目の前の問題に
ブチ当たってる人、目を逸らしてる人に
その思い描いた図は掴めるのか?

目標を持つのは大切な事です。

例えば、ぼくができてその人にできない事があって、そこで実力差が生まれる。
それはちょっとしたコツや考え方、力の使い方で付ける事ができる差。

じゃあそれは純粋な力だけでは
無いということになる、つまり学習しているかどうか、同じ失敗をしているかが明確に分かってくる。
(因みに失敗を認める事から学習が始まるので、認める事←ここで本当の差が生まれると思っている)
失敗する事自体は悪い事じゃ無いです。
ただ何と無くの失敗、何と無くの成功から得られるモノは?

そこを何ヶ月後や半年、一年後に出直します、覚悟しとけよ、覚えておけよ、
という理屈が凄く不思議。

力という単位になら急がない、確実に強くなっているのを確かめながら今を積み重ねていけば良いですよね。

頭(考え方)という単位は起きている問題を問題視しないとずっとそのまま。
考え方変えて感覚を段々良くしていくために時間が掛かるだろし人それぞれだが、今日直せる事もあるかもしれない、それが頭という単位。

ゆくゆくは力が付いてきて頭を補い、良い結果を招く事もあるかもしれないが、
たまたま得た結果から得れるモノは少ない。

今日直せる事もあるかもしれない、を先延ばしにし続けてる人が掴むモノは何?


「絶対負けませんよ

いつか千切ります」

威勢が良かったり、刺激にしてもらうのは大変ありがたいが、中に?うん?っていう相手がいるのも最近の事実。

数カ月や半年でひっくり返される程、
サボっとるかい!
(サボってますが…)

トゲトゲしてますねボク♡
醜態お披露目日記です。
久しく未熟者が吠えてしまいました。

今は時間で量られる自分の弱さに
凹んでます。

目の前の問題を直視しないのも社会では時に必要ですが、自転車は趣味として本気でやっているので、なるべくいらぬ妥協して嫌いなモノにはしたくないですね。

ぼくの自転車人生は短いな、きっと。