相手と自分を見る

1日挟むがちょいと夜練にお邪魔させてもらってきました。

結構人も多めに思えたが足並み揃うという雰囲気でも無く、かと言ってキレイに先頭交代するでもなく。

自分は前日に4時間練習した疲労から、脚のダルさは抜群でスタート。

しかしそういう状態で走ると一つ一つの動作が丁寧になり、返って効率が良くなり不思議とスピードが出てくるもんだと考えながら、脚のダルさと対話し続けた。

解放とまではいかないが周回を重ねる度に、脚は温まってきたのでさぁここから!という頃合いで、先頭交代できる人が居なくなり最後は1人で淡々と追い込む事に。

踏んだ実感も踏めている感覚も無いので正直拍子抜けではあったが、皆さん調子悪いのかもしれません。

1人だったらサボっていたかもしれないし、また違った1日を過ごしていたので、ご一緒させて頂いた事がまず有り難いです。

練習の場にお邪魔すると色々な走りの人がいます。明らかにレース経験を積んでる人、フィジカルでやってますって人、他人を気遣える人、付いてくので必死な人。

色々なレベルの人が集まって走れるのは自転車の素晴らしいところ。それは未だに凄く感じます。

やや難しい表現になるかもしれませんが、自転車で競技志向となるとどうしてもセオリーを無視できません。それを基礎というなら基礎から逸れた走りをするならそれなりのズバ抜けた才能か力が要る気がします。

自分の場合その2つが極めて平凡で並なので、セオリーと基礎固めを無視出来ません。

人と走るのは刺激、それに出会い。それがどんな形でも大きな学び、

流石に殴られ蹴られたら参りますが。