「下巻」


それでは後編です。

2回目の普久川ダムの登り、
ここでぼくは実質、レースを終わらせてしまいました。

頂上では20〜30人程の集団に。
後ろから少し合流があって40〜人?
下りは集団でかなり攻めたので
後ろからはもう来ない、あとはこの集団で追走、千切り合いの展開。

この時点で、
先頭1〜3名(内1人香港のヤン選手)

〜頂上付近で1分差〜

追走5〜6名(タカオカ、モリモト選手)

〜頂上付近で2分差〜

追走30〜40名(なるしま勢、イナーメ勢、ぼく)

追撃は前に詰めての一分、
後ろは離されての二分。

タイム差の開きから見ても
ぼくの居た集団はこの時点で
千切れ集団、追撃に加われなかった組。
その証拠に第一追走の内、数人が先頭を吸収してそこから優勝争いをしている(イナーメ2名)

ぼくの集団は緩む事は無いが、
グルペット感が少々漂い始める。

ぼくは脚にキていたのでとにかく
埋れて登り返しが繰り返す区間を
ひたすら耐える。

登って下って、また登って。
レース後半という事もあるがぼくは
何度も自転車を降りようと思った。

けれど苦しんでるのはぼくだけでなく、皆が苦しんでてその皆はほとんどがJPTで走っている人達、じゃあ行くしかないよねって。

ニシワキさんが居たのでご挨拶、
「シミズさんのチームメイトです」と言ったら、知ってるよと。
ニシワキさんとはレース後に夕食を共にすることになる。

ポール選手の牽きが強い、
それに合わせられない人が多過ぎて
全員ローテにはならない。
カジ選手が後ろまで下がっていって
他の選手のケツを叩いていた。
それで少し回り始める。

登り返し区間後半、登りに入るとどうしても最後尾になりヒラヒラ。
ダンシングを使うと前に上がれて
感覚的に皆が下がっていく。
シッティングの筋肉を使い切ったのだ。
元々弱い事もあるけども。

この日に関しては、ダンシングがあって命拾いした。

気付けば羽地ダムの登りに辿り着く頃には20数名、何も出来ないながら生き残ってる。

自分も脚を残していなかった訳じゃないので備えるが、フリーダムのカザマ選手、イナーメのタカハシ選手、なるしまのクラバヤシ選手らが入り口からハイペースで上がっていき、それを詰めにいくもトンネル手前で完全に切り離される。

少し前にイワシマ選手(2011優勝)が見えるも詰まるようで詰まらず。
下りを単独で走り、存分に攻めた結果2人に追いついて一緒にいきますか?と聞いたら、先行っていいよと断られゴールまでの平坦を1人で。

途中バイクの人が横に来て
何km/h出てますか?と聞いたら
45kmだよーと。

後に前でゴールした選手達のブログを見たら47〜8kmと書いてあったのでぼくはやはり登りでしがみつくべきでした。

1人でゴール。


ゴール後、マリーさんがものすごいテンションで迎えてくれたんだけど、羽地の登りで千切れてゴールまで1人で走る間に気持ちが冷める時間があったので、あまり順位に実感がなく、千切れたという印象から大体40〜50番とこの時思っていた。

ゴール後は終わったという安堵感もありながら、あの時にああしていればという振り返りを頭の中でグルグル。

来年どうするかまだ決めてませんが
このレースで自分が最終勝負に加われなかった所の力量、加われた人達との差、どこが足りていないかを知る事ができたのが収穫です。

それらをまた練習、レースで伸ばすのは大前提、伸ばした上でもう一つ、二つ武器を作らないと、ね。

結果については自分にしてみれば
上出来です。
けれどまだ面白くないんです。
欲張りですが物足りない。
自分に与えられた時間で
また最高の準備をしていきます。
どのレースに対しても。

こうしてシーズンの最後に
沖縄で210㎞というレースを走れたのは本当にぼくの周りにいて下さった方達のおかげです。

1人じゃこの日には辿り着けてません。

ありがとうございます。



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沖縄おわりー。