「株を上げておく」



ぼくは用意周到に事を運ぶ性格。

本線のレールをしっかり引いていきながら、万が一の補助線も引いておくような。(詰めが甘いんだけども)

石橋を叩くのとはまた違う。

何度も叩くのでは芸が無い、と
その石橋の構造や歴史までを調べて
必要最低限の試行で渡ろうとする。

天才になれない凡人だな。
けれど凡人を嫌うというワガママ。

無駄を嫌う。
使えるモノは使っていく。

ただ無駄を好む時間も作るようになった。頭がカチカチにならないための予防。

使えないモノを時には使っていく。
これに関しては“いざ”やってみたら
使えてしまったという事もあるから
本当に面白いと感じる。

ぼくの走ってるチームは
平坦系レースでエースを決めて走る事がある、エースになれる人がいる。

そのエースや、周りの人からぼくは過大に評価を受けていると感じる事がある。

とても恐い事なんだけど
素直に嬉しい時もある。

その過大評価はいざ蓋を開けてみて
“過大”では無く相応しい評価である事も。
(ごくごく僅かだけど)
実際、それで自信を付けて
更に成長に繋がった事がある。

もう一つ、“過大”評価を受けた段階では
間違いなく自分にとって過大だったが、
それに寄せようと色々変化をして、作業を進めた上で、いざ本番を迎える頃にはもう自分にとって“過大”評価ではなくなっていた事もある。

人が成長したり変わったり、というのは
そういうモノなのじゃないだろうか。

“これは自分を成長させるには良い方法だ”、とぼくは思うようになって、
評価を受ける場に足を運ぶ事、顔を出す事にそれ以前より貪欲になった。

時には自分で自分を過大に
評価してやる事も上手くいったりする。
自信を持つ事に欠けやすいぼくは特に。

ある練習で“何かになりきる事”をやってみた、それはその日の自分のテーマみたいなモノ。
”今日のおれはクライマーだ!”とか。
”今日のおれはワン•カンポーだ!”とか。
(※中国の選手でスプリントに非常に強い)

基本はそんな訳ないので、
何かが飛躍的に変わる事はないんだけど、何かを掴む事はできた。

苦手意識、というのは凄く邪魔なモノで
ここ一番という時に心を打ち砕きに来る。
メンタルに弱いぼくは、
この「なりきり」で本当に弱い部分を
見分ける事ができてきた。

自分を騙してみるのも意外と良い。


最後にそもそも何故、“過大評価”を
受けるのか。
「チーム内」に絞って言えば、
それは触れ合う時間の量だろうか。

一緒に練習する機会は少ないから
本当の意味での得意不得意、
互いの力関係を量れてないのかもしれない。

ぼくの場合、
その逆を生かしたいと思ってる。

その触れ合う時間が少ない分、
限られた共有時間での出来事、内容はよく印象に残る。
だからその1回、2回の共有時間で
しっかり集中して走れば、
力を認めてもらいやすいと思っている。

もちろんその力が偽物なら
遅かれ早かれ見抜かれるので、
一瞬の灯火は厳禁、継続あれ。

常にアピール。

その限られた機会を無駄にしない姿勢、
集中した走りは信頼を勝ち取るに必ず値すると思ってる、
ぼくはバカ正直にしかなれないからこの方法しかない。

その勝ち取った信頼は
レース(本番)での動き(連携)に
大きく関わってくる。

仕事を与えてもらう、もらわないの差は
ここらで生まれてくる。

(E1で“チームごっこを
する気はないけれど。)

エースという人も最初は
アシストから始まる。(例外もあるが)
ぼくはレースのイロハを学びたい。
何十人、何百人走って1人の優勝者が出る仕組みを知りたい、知り尽くしたい。

それは自分のために。

今の場所でそれが学べるなら、
必要な時に必要な走りをしていきたい。