「ぼくの強さ」



強さについて記そうと思ったんだけど
何を記すかを忘れてしまった。

たまに考える強さ。
いや、ずっと考えてるかもしれない。

まず、今の自分を“強く”思うか。

答えは、思わない。


1年前、2年前の自分を振り返った時、
とても愚かだったと思うし“振り返る”今だからこそ弱さ未熟さを感じる事ができる。
ただその1年前、2年前は“自分は強い”
“結構イけてる”と思ってしまってたりする。
だからこんな自分でも、それらを繰り返して今の自分が強いとは思わなくなった。

そう思い出してからは
自分がライバルに変わった。

時には強いと思い込んで
何かに備え、何かに臨まないと
乗り越え難いモノがあるのも
間違いないけれど。

もしかしたら自分をそう簡単に
“強く”思わなくなったのは
狙い所が(目標)定まってきてるからなのだろう、そういう事にしよう。



最近の自分は練習において
色々選ぶようになった。

単独か、ペアか、複数か。
平坦か、坂道か、アップダウンか。
低強度か、高強度か、インターバルか。
短距離、長距離か。

これに尽きず
細かく言い出せばまだまだある。

どれも大切なんだけど順番があって、
タイミングによって得られる効果が
随分変わってくる。

全部説明してしまうと、ぼくの文章力では長期作業になるので“複数”について
少し考えたい。

複数での練習だと“集団走行”となり
普段とはまた違う速度域で走る事ができ、登りなどピークポイントでは互いを刺激し合えるので普段よりも追い込めやすい。

風が敵の自転車は先頭交代を繰り返す事で負担の分担ができるので複数だと
距離を稼ぐ事もできる。

最初はこれだけで十分に楽しいし、
練習になる。

複数でのデメリットもある。
自分以外の人が危険回避を免れず、
不可抗力的に巻き込まれる事もある、
(逆に人を巻き込む事も)
自分に限ってはこの不可抗力も、
「その場、その位置にいた自分の責任」と思う事にしてる。
理由は色々あるがここでは簡素に。

それと複数走行の場合、メンバー選びは
重要だ。
お互いの目的など、認識、意思疎通が取れていないと大体は“千切りあい”になる。

少し戻るけど
“普段よりも追い込めやすい”
これがポイントだと思う。

ぼくが考えるのは、
練習で誰よりも
強くあることが全てでは無い。
最終到達点では無いという事。

その先が必ずある。

これはほとんどの人にもきっと
当てはまるんじゃないだろうか。

その先に設定してる目標と、
それに近づくための過程、手段、目的。
これらがブレなければ練習での力の注ぎ所は大体分かってくる。

ぼくが見てきた中で“ブレてない人”は
練習の目的がハッキリしてるから
スイッチを入れた瞬間から別人になり
集中力がすごい。
そしてスイッチを切った瞬間からは
表情も足もスパッと緩まる。

一方スイッチが入ってない者がそういう場で練習を一緒にやると、置いてけぼりを喰らったり、絡めたとしても前半だけだったりと頭も身体も動く内にが多い。
そしてスイッチを切っていい時に
出し切れなかった力を持ち寄る者が居る。
楽しさ主動なのだ、それが悪い訳じゃない、楽しくやればいい、ぼくも楽しくやりたい。
楽しさ“のみ“がぼくは問題だと思っていて
この路線でいくと大体溺れた。
目的主動も必要。

因みに
この者を輩とぼくは呼んで居る。

ぼくも輩な時があった。

ただ凄まじいカリスマの持ち主によって
ぼくは色々正してもらう幸運に恵まれた。

そして今は、その正してもらった動作の
意味をひとつひとつ紐解いている。

“あの時は気付けずにいた“という
タイムラグが今は少し心地良い。

輩、と言ってしまったが
皆えてして悪意があまり無い。

もしかしたらぼくも誰かに輩な行為をしているかもしれない、しかも悪意無く。

自分を正すためのレーダーは
常に敏感でいたい。